昭和五十六年十月一日 朝の御理解


御理解第八十九節
「此方の道は傘一本で開くことができる。」


 此方の道とおっしゃております。此方の道というのは、勿論教祖金光大神が教えて下さる道でございましょうが、それを信ずるという事だと思うですね。神様は信ずる者を信ずると仰せられるのですから。私共が教祖様の教えを本当に信ずる事が出来る事の為に実験実証がいるのです。その実験実証が間違いなくみやすう、しかも楽しゅうでける手立てが合楽理念だと思うです。
 要は神様を信ずる事がでけるという、神様を信じての生き方。そこに、いわば不平も不足も言わず思わず、思わんですむというような素晴らしい生活がでけるようになるのです。又そういう心におかげがあるのです。そういう心に神様の御信用も、又頂く事がでけるのです。いわゆるお徳を受けるという事が出来るのです。ね、此方の道は傘一本で開ける。只神様を信ずる。私が言うておる事を信ずる。その事だけでおかげになるという事になる訳です。
 ね、昨日は、御礼神話会でございましたので、あのう皆さんのいろいろお話を聞かせて頂きましたが、最後に私の方の三番目の息子であります幹三郎が発表しとりました。まあ言われれば言われたとおりの事を、まあ動いてきた。言うならばロボットのような信心であったと自分で言っております。ね、それが今度父親にならせて頂いて初めて、いわゆる合点がまいりました、と言っておるですね。
 子供を持って合点せよと、神の氏子を守り下さる事を悟れとおっしゃるが、これから僕の信心に血肉が通うてくるであろう。おかげ、まあ息子誕生のおかげを頂いて、初めて父親としての実感がそういうふうに申しております。今迄の信心はただ形や、まあロボットのような信心であった。
 それに、これからはね、言うならば親神様の思い、親先生の心が実感として分かる。分かるという事は、私の信心に血肉が通う。今の教主様のお歌の中にもありますようにね、子供が育つというが子供と共に親も育っていかねば、というお歌があるんですけれども。ね、子供が育っていくという事と同時に親も育っていくという、そういうあのう実感が頂けますという事を言っております。ね、そこからどういうものが生まれてくるでしょうか。ね、兎に角今迄は、ただ形だけのロボットのような信心から血肉が通うた信心になってくる。その血肉が通うたという信心、生き生きとして感ずる事はどういう事でしょうか。神様のおかげを頂かなければ立ち行かんと言う事です。
 ね、自分で育つとか育てるとか言うけれども、神様のお育てを頂かなければ神様のおかげを頂かれなければという、あのう、ところがいわゆる実感として分かってくるだろうと思うです。
 それが、私は血肉に、信心が血肉になっていく事だと思います。神様のおかげを頂かなければ立ちゆかん。ね、着物を着ていても、食べておっても、何をしておっても、それはまあ人間として当然、当り前の事のように思うておったけれども、許されて食べておるの。許されて着せて頂いておる。一切が神様のおかげを頂かなければと言う、その実感なんです。私は、それを信ずるという事だと思うんです。ね、ただ形だけは、こう言うなら朝参りなら朝参りをさせて頂いて、何かの拍子に心が開けてくる。
 成程ね、神様のおかげを頂かなければ参っておると言うても、許されなければ実際お参りする事も出来ないのだと。ね、というところから、いわゆる有難いという、丸々有難いという事になる訳。そういう言うならば信心が心に開けてくる時に、私は、それを傘一本というのじゃなかろうか。
 神様を信ずるという事は、その神様のおかげを頂かなければという、まあここ一寸動く事すらもでけないのだという、その事が信じれる。その信じれる心をここでは傘一本というふうに表現してあるのじゃないかと思うんです。ね、そういう心が真実開けてきたらね、一切がおかげという事になります。そういう心が開けてくる。そういう信心には、確かに傘一本で開く事が出来るようなおかげに繋がると思うです。
 昨日、福岡の秋永嘉郎さんが発表しとりましたが、最近その呉服屋さんの問屋さんが参りましてから、もう兎に角今呉服の最低に不景気。景気が悪いという事だそうですけれども、何かしらん、ここに来ると、あのう生き生きとしてくると。まあ問屋さんですから、お得意さんのいろんな事が、もう調査がしてありますそうですが、その昨日でしょうかね、あのう問屋さんがみえて、まあ普通ではお客さんには見せない物でしょう。そこの調査状態というのですから。ね、それが梅屋のね、梅屋の商売の焦点は、お客さんに喜んでさせ貰えば、と、それに書いてあるそうです。
 まあ、ようこんな事まで調べたもんじゃあると言うて、昨日嘉郎さんが話しておりましたが、本当に同業者の方達が、まあ不景気不景気と、こう言っておるが、その問屋の人が梅屋に見えて、ここへ来ると何かがこちらの心まで弾んで生き生きとして来ると言うふうに、言われたという発表をしておりました。
 合楽理念に基づくとですね、言うならば御商売をさして頂いて、兎に角どうすりゃ儲かるというものではなくて、もう兎に角お客さんに喜んでさえもらえばという一心。私はそういう信心でもです、合楽理念をどんなにマスターしたからと言うてもです、その根底になるものは、やっぱり何んというてもね、神様のおかげを頂かなければ、立ち行かんのだから。なら神様のおかげを頂いて立ち行くそのお商売ならお商売がね、そんなら神様に少しでも喜んで頂く生き方としてお客さんを中心にした、お客さんが喜んで下さればというような生き方で行かなければ、まあ言うならば馬鹿らしいというような意味の事を申しておりました。
 お互いが、こうやってお参りはしておる。けれども、只それがロボット的お参りではなくて、中に血の通うたお参り。その、そこから感じられるものは神様のおかげを頂かなければお参りも出来ないんだというところ。神様のおかげを頂かなければ立ち行く事は出来ないんだと。もうこれが全ての点に、それが実感出来る時にね、それを信ずる時に、私は傘一本という事が出来ると思うね。これからこれまでは自分ででけるというようなものではなくて、もう一から十まで神様のおかげを頂かなければ出来んのだ、立ち行かんのだという頂き方。
 何を信ずるかと言うと、そういうところを信じさしてもらいね、合楽理念に基づく生き方がいうならば、私がここでお話をしておる事を、皆さんが信じて下さるという事です。
 ね、信ずるから、それを実験も出来れる、実証もでけてくるんです。ね、そこからは自ずと神様から信じられる働きも必ず生まれてくるでしょう。信じ信じられる氏子にお取り立てを頂いて、それこそどこにおってもね、神様のおかげを頂かなければ立ちゆかんというところから、どこにおっても立ち行くおかげが頂かれる。どこにおっても、それこそ何がなくても傘一本で開ける道というのは、そういう事だと思います。どうぞ。